大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)11000号 判決 1992年3月27日
原告 石井和子 ほか一三三名
被告 国
代理人 田中清 村松雅司 山口芳子 森口節生 ほか四名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
(甲事件)
被告は、別紙一記載の甲事件原告らに対し、各金一一〇万円及び昭和六二年一一月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(乙事件)
被告は、別紙一記載の乙事件原告らに対し、別紙二請求債権目録中請求金額欄記載の各金員及びこれに対する平成元年一〇月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件抵当証券の発行
1 ナショナル抵当証券株式会社(昭和六一年一〇月一日商号変更後、丸和モーゲージ株式会社。以下「丸和」という。)は、昭和六〇年九月から昭和六一年三月にかけて、株式会社レブコジャパン(以下「レブコ」という。)に対する約二八億円の融資の担保のためと称して、レブコ所有の別紙三物件目録記載の土地六筆(以下「1の土地」ないし「6の土地」もしくは併せて「本件各土地」という。)及び建物一三棟(3、4、5の各土地に各三棟、6の土地に四棟。いずれも現在は滅失済)につき、レブコから抵当権の設定を受け、昭和六〇年一〇月から昭和六一年四月にかけて、各抵当権につき、岡山地方法務局に対し、抵当証券の交付申請(以下併せて「本件各申請」という。)をした(争いがない)。
2 岡山地方法務局では、同法務局の太田貞夫登記官(以下「太田登記官」という。)が本件各申請につき審査した後、同法務局の登記部門を担当する第一統括登記官及び石岡研二首席登記官(以下「石岡首席登記官」という。)の決裁を経て、石岡首席登記官の名前で、いずれも丸和を債権者とし、レブコを債務者兼抵当権設定者とする抵当証券七通(以下「本件各抵当証券」という。)を次のとおり発行して、丸和に交付した(<証拠略>)。
(一) 1及び2の土地につき、抵当証券番号一八六番
発行日昭和六〇年一〇月一五日、債権額一〇億円
(2) 3の土地及び同地上の建物につき、抵当証券番号三九四番及び三九五番
発行日昭和六一年三月六日、債権額三億円及び三億八〇〇〇万円
(三) 4の土地及び同地上の建物につき、抵当証券番号三九六番
発行日昭和六一年三月二五日、債権額三億一〇〇〇万円
(四) 5の土地及び同地上の建物につき、抵当証券番号三九七番及び三九八番
発行日昭和六一年四月九日、債権額各二億八〇〇〇万円
(五) 6の土地及び同地上の建物につき、抵当証券番号三九九番
発行日昭和六一年四月一五日、債権額三億二〇〇〇万円
3 抵当証券の交付申請書には「抵当権が債権の全部の弁済を担保するに足ることを証する書面」(以下「担保の十分性を証する書面」ともいう。)を添付しなければならないこととされており(抵当証券法施行細則二一条の二。以下同条を「本件細則」という。)、本件申請でも不動産鑑定士野納芳昭(以下「野納鑑定士」という。)作成の不動産鑑定評価書各一通(以下「本件各鑑定書」という。)が添付された。本件各鑑定書による各土地・建物(ただし、建物はいずれも評価額〇円)の評価額が、次のとおりであった(<証拠略>)。
(一) 1及び2の土地につき、昭和六〇年九月一日時点 一二億五〇〇〇万円
(二) 3の土地につき、昭和六一年二月四日時点 八億五三六〇万円
(三) 4の土地につき、同年二月二五日時点 三億八九八〇万円
(四) 5の土地につき、同年三月一一日時点 七億円
(五) 6の土地につき、同年三月一三日時点 四億〇二二九万円
二 原告らの地位及び損害
<証拠略>によれば、次の事実が認められる。
1 丸和は、その作成にかかる「ナショナル抵当証券取引約款」に基づき、本件各抵当証券を一般に売出したものの、その取引形態としては、抵当証券を細分化して譲渡することとし、顧客から代金支払いを受けた後も、抵当証券原券を保護預かりとして、購入者には同社の発行するナショナル抵当証券証書兼保護預り証書(以下「モーゲージ証書」という。また、以下に、右のように原券を保護預かりとして、モーゲージ証書を利用する抵当証券についての取引を「モーゲージ証書取引」という。)を交付するにとどまるものであった。
2 甲事件原告石井和子は、昭和六一年三月一二日、抵当証券番号三九五番の抵当証券につき、同渡部光子は、同日、同番号三九四番の抵当証券につき、同岡田浪は、同年七月三一日、同番号三九八番の抵当証券につき、いずれも二五〇万円分の権利を、乙事件原告らは、別紙二請求債権目録の購入年月日欄、原券番号欄記載のとおり、昭和六〇年一二月ころから昭和六一年九月ころにかけて、本件抵当証券の一、二についての権利を、同目録の購入金額欄記載の各代金を交付して、いずれも丸和から購入し、同額面の各モーゲージ証書を受領した。
3 しかし、丸和の右抵当証券に関する商法は、抵当証券発行時にはいまだレブコに対する現実の融資が実行されず、モーゲージ証書購入者からの入金を得て、初めてレブコに対する融資に使用するものであったうえ、融資先もレブコ一社のみで、その利息も回収せず、さらに、購入者からの右入金分を無計画に宣伝費・人件費等に使う詐欺的なものであった。その後、丸和は昭和六一年一一月二六日に、レブコは同年一二月四日に、それぞれ破産宣告を受けた。
4 ところで、本件各抵当証券発行当時の本件各土地の価格は、澤野順彦作成の鑑定書(<証拠略>)によれば、1及び2の土地についての昭和六〇年九月一日時点の価格が合計三億〇三九五万九〇〇〇円、3の土地についての昭和六一年二月四日時点の価格が二億三一二五万六〇〇〇円、4の土地についての同年二月二五日時点の価格が一億〇三六〇万七〇〇〇円、5の土地についての同年三月一一日時点の価格が一億九〇四五万円、6の土地についての同月一三日時点の価格が一億〇一五〇万七〇〇〇円と各評価されるべきものであった。
5 しかるに、本件各抵当証券は、本件各土地の価格について、前記のとおり、過大な評価を加えた野納鑑定士作成の本件各鑑定書によって発行されていたため、担保価値として乏しく、右破産手続時点においても、被担保債権の全部を担保するものではなかった。そのため、原告らは、丸和の破産手続の中間配当金として、各購入額の六〇パーセントを受領したが、残額については配当の見込みがない。
三 原告らの請求
原告らは、「いずれも被告の機関である石岡首席登記官及び太田登記官においては、本件各抵当証券の発行に当たり、抵当権設定の対象不動産が債権の全部の弁済を担保するか否かを実質的に審査する義務があるところ、本件鑑定評価書が内容・形式双方から見て不適格なものであることを看過し、担保価値の裏付のない抵当権についての抵当証券を発行・交付した過失がある。」旨主張し、国家賠償法一条に基づき、原告らの前記抵当証券購入代金から前記破産配当を受けた金額を排除した残額についての損害賠償請求権のうち、原告石井和子、同岡田浪、同渡部光子については、各一一〇万円(ただし、弁護士費用相当分各一〇万円を含む。)、乙事件原告らについては、別紙二請求債権目録請求欄記載の金額の各支払を求める。
四 争点
1 原告らは、モーゲージ証書の所持者ではあるが、抵当証券上の裏書等を受けていないことにより、抵当証券発行に関する損害賠償請求権を行使できる立場にあるか否か。
2 抵当証券発行時における登記官の審査義務の範囲として、申請書類についての形式的審査のみで足りるか、担保価値の評価の実質的審査をも含むか。
3 本件各鑑定評価書は、その形式・内容から見て、申請書添付書類として不適格なものか否か。
第三争点についての判断
一 原告らの法律上の地位等(争点1)について
1 当事者の主張
(一) 原告らの主張
(1) 原告らは、丸和との間のモーゲージ証書取引により、本件各抵当証券の共有持分権、すなわち抵当権付債権の持分権を取得したものであるから、丸和が原告らに抵当証券原券(以下単に「原券」ともいう。)に替えて発行交付したモーゲージ証書の法的性格については、抵当証券の売渡証書と保護預り証の双方の性質を有する証拠証券と解すべきである。したがって、原告らは、抵当証券上の権利(抵当権付債権)の持分権を有し、かつ、抵当証券会社を通じて、抵当証券を代理占有している。
(2) 仮に、モーゲージ証書形式の売買が抵当証券上の権利の移転でないとするなら、現在の抵当証券取引のほとんどは、単なる証書の売買として詐欺商法というべきものとなるか、不特定多数からの預り金契約として出資法違反となるかのどちらかになり、同業界の存続は許されないものとなるはずである。ところが、被告の国はモーゲージ証書の形式での右抵当証券の流通を事実上認めており、抵当証券上の権利移転形式と解釈すべきことは当然である。また、売買契約の当事者の意思としても、モーゲージ証書の取引形式について、抵当証券の売買と理解しており、モーゲージ証書の売買とか、抵当証券に関連する預り金の取引とは考えていないから、被告主張の解釈は失当である。
(3) そして、原告らの本件各抵当証券購入による被害は、被告が、担保価値の裏付のない抵当権についての抵当証券を発行して、欠陥ある金融商品を流通に置いたため、原告らが、「法務局発行の抵当証券だから安全確実である」旨の丸和の宣伝を受け、特に法務局の発行という点を信用して購入したものの、元来、担保価値の裏付のない権利の購入であったことによって損害を被るに至ったものである。したがって、右損害は、丸和の詐欺的行為や不当鑑定のみで生じたものではなく、被告が不注意により担保価値の裏付のない抵当証券を発行したことにより生じたものであって、右義務違反がなければ生じなかったものであるから、被告の証券発行と原告らの損害発生との間には因果関係もあり、原告適格を有する。
(二) 被告の主張
抵当証券法一五条二項は、白地式裏書の方法による手形上の権利移転を認める手形法一三条二項の準用を意識的に排除していることからすれば、抵当証券法二七条等にいう所持人とは、抵当証券を現実に所持しているものでなければならず、このことは抵当証券が呈示証券である(同法四〇条)から当然のことでもある。ところが、原告らは、抵当証券の間接占有者であるに過ぎない。さらに、抵当証券業の規制等に関する法律も、モーゲージ証書の取引形式による抵当証券の移転を認めたものではなく、そのような法改正はなされていない。
したがって、原告らは、丸和との間のモーゲージ証書取引により、抵当証券の裏書も直接占有も得たものではなく、抵当証券上の権利を取得したとは言えないので、抵当証券上の権利の取得を前提とする本件請求は失当である。
2 当裁判所の判断
(一) そこで検討するに、一般に流通性が予定された有価証券に関する権利行使について、裏書、所持等が要求されるのは、権利の有無の判断につき、実体的な権利関係から判断する困難を避け、証券の存在・記載に基づく権利判断を可能にするためである。
ところが、モーゲージ証書取引における当事者間の意思が抵当証券上の権利の売買を意図してのものであるとしても、当該抵当証券の原券につき裏書のない状態で、売主に保護預かりの形で占有を留保させる(さらに銀行等に預託するとしても預託主体が売主たる抵当証券会社である場合は同様である)以上、モーゲージ証書所持者のほかに、当該原券の取得による抵当証券上の権利者が発生する可能性を否定することはできない。
そうすると、モーゲージ証書の所持によって、抵当証券上の権利を完全に行使・処分できるとの解釈を採ることは、被告主張の前記抵当証券法の諸規定の趣旨に反して複雑な権利関係を現出させることになり、相当でないものと解される。そして、モーゲージ証書取引による購入者が、原券を所持しないことによる不利益を受けるとしても、少なくとも売主たる抵当証券会社に対する債権的な保護は受け得るところであるから、モーゲージ証書取引のほとんどが詐欺商法というべきものであるということもできない。
(二) ところで、本件では、原告らが、不法行為による損害賠償請求をすることの当否が問題であり、原告らが抵当証券上の権利を適法に行使することができるか否かではない。
そして、不法行為に基づく損害賠償が可能であるためには、その主張する損害が法的に保護されるべき利益であり、かつ、その利益についての損害の発生が予測できる程度で相当因果関係が認められれば足り、必ずしも取引法上、相手方に対して権利として行使可能であることまでの必要はない。
(三) そこでさらに検討するに、モーゲージ証書取引は、抵当証券原券の紛失防止のための保護預かり、債務者・抵当権設定者のプライバシー保護の問題、購入者のための取立委任事務処理のため等の理由により、抵当証券が大量に発行され始めた昭和五〇年代後半以降に、抵当証券市場において広く利用されているところであり(<証拠略>)、モーゲージ証書取引がなされることは、本件各抵当証券発行当時、一般に当然予測できるものであった。したがって、抵当証券発行者たる被告の立場からは、第三者が抵当証券を取得することの予見可能性の点において、モーゲージ証書取引か抵当証券原券自体の取引かの差異は実質的な区別の実益がないというべきである。そして、担保の裏付けのない抵当証券の発行がなされた場合、当該証券を裏書により取得した者が損害を受けることが予想できるに止まらず、当該証券を対象としたモーゲージ証書取引の相手方となる者が損害を受けることもまた、相当の蓋然性をもって予測しうるものというべきである。
(四) もっとも、モーゲージ証書取引の場合には、抵当証券原券は抵当証券会社に留保されているから、抵当証券原券の取得者が生じたり、二重売りの場合に同じ原券についての他のモーゲージ証書取得者が生ずることにより、同一の担保価値に対する法的利益についての複数の権利者が生じ、その結果として、損害賠償請求権を行使できなくなるモーゲージ証書所持者が生じる場合もあり得るが、その一事によって、モーゲージ証書取得者の損害賠償請求権を全面的に否定する理由とはならない。
(五) そうすると、抵当証券の担保価値が不十分であることにより抵当証券原券の権利者からの損害賠償請求が可能な場合には、モーゲージ証書取引によるものであることによっても、損害賠償請求権の発生を否定する理由はないものと解され、原告らの本件各訴訟における原告適格を肯認することができる。
二 抵当証券交付申請時の登記官の審査義務の内容(争点2)について
1 当事者の基本的な主張
(一) 原告らの基本的主張
登記官は、「抵当権が債権の全部の弁済を担保することを証する書面」として提出された鑑定評価書等により、「当該抵当不動産が当該抵当権の被担保債権の全部の弁済を担保するだけの十分な担保力を有しているか否か」を審査すべきものであるから、登記官は、鑑定書等が信頼できるものであるかどうか、評価額が公示価格等に比較して不当に高くないか、利息・損害金、先順位の抵当権、建物の減価、競売による減価、借地権等を考慮して、当該不動産が債権の全部を弁済するに足りるものか否かを実質的に審査する必要がある。
そして、鑑定評価書の内容を審査し、適格性がないと判断した場合は、法五条一項六号により却下すべきである。
(二) 被告の基本的主張
登記官は、抵当権の担保価値の十分性という実質事項を対象として審査するが、審査の方法は書類の形式的内容が法令上許されるものか否かを審査する形式的審査である。
すなわち、登記官の審査は、提出された抵当証券交付申請書、その添付書面及びこれに関連する既存の登記簿を資料として、単に書面審査を行い、提出された書面の成立の真正のほか、記載の不備、不整合等の形式的判断や法律的判断事項、事実的判断事項のみを審査対象とする。
したがって、添付書面たる鑑定評価書における担保価値の評価の正当性は審査権限の範囲外の事項であり、担保価値の評価の正当性は専ら不動産鑑定士の判断に委ねられている。
2 抵当証券審査に関連する制度の推移
<証拠略>によれば、次の事実が認められる。
(一) 抵当証券の制度は、昭和六年制定の抵当証券法の制定によって始まるが、その時点では、担保の十分性を抵当証券発行の要件としたり、担保の十分性についての資料添付を定めた規定は存在しなかった。
(二) その後、手続が煩雑である影響もあり、抵当証券制度の利用は少なかったが、昭和二六年から二九年頃にかけて、不動産を不当に過大評価した抵当証券の不正利用事件が多発したため、昭和二九年三月八日、法務省令により、抵当証券法施行細則に二一条の二の規定が新設され、申請時の添付書類として「抵当権が債権の全部の弁済を担保するに足ることを証する書面」を要する旨定めた。そして、本件細則に副う書面について、昭和五二年一月二八日、法務省民事局長通達(法務省民三第六六〇号)及び同省民事局第三課長通達(法務省民三第六六一号及び第六六二号)により、原則として、不動産鑑定士の作成した鑑定評価書を添付する取扱となり、その際、一般の鑑定評価書と異なり、不動産鑑定士の登録通知書及び不動産鑑定士の印鑑登録証明書を添付し、実印で署名押印することとされた。
(三) その後、昭和五〇年代後半になって、抵当証券の発行及び流通が急増するとともに、昭和六〇年ころからは、抵当証券原券の裏付けのないモーゲージ証書の販売等を含む抵当証券販売に伴う紛争が増加しはじめた。そのため、社団法人日本不動産鑑定協会から、同会員に対し、昭和六一年五月一四日付けで、「抵当証券発行に係る鑑定評価について」と題する書面(<証拠略>)が出されることによって、抵当証券発行にかかる鑑定評価としては、現況あるがままの評価が必要であり、現況に条件を付したり、鑑定評価書から対象物件の価値が簡明に判定できない鑑定評価書は厳に慎むべきこと及び抵当証券発行にかかる鑑定評価のための留意事項について検討中であること等の通知がなされた。さらに、同年秋ころからは、本件のような抵当証券に伴う不動産鑑定評価が過大であった事案が問題視されたこと等により、社団法人日本不動産鑑定協会から、同会員に対し、昭和六一年一二月一八日付の「抵当証券交付申請書添付鑑定評価書に係る不動産鑑定評価上の留意点について」と題する書面(<証拠略>)が出され、抵当証券交付申請の際の不動産鑑定評価上の固有の留意点等が通知された。
また、同年一〇月ころから昭和六二年六月ころにかけて、大蔵省及び法務省の共同で、学識経験者等をメンバーとする抵当証券研究会による調査・研究がなされた。その結果、同研究会から、同年六月一一日「抵当証券取引について」と題する報告書が提出された。
(四) そして、昭和六二年一二月一五日法律第一一四号抵当証券業の規制等に関する法律が制定されたが、その骨子は、抵当証券業者の規制、保管方法の規制等であった。
さらに、昭和六三年五月、社団法人日本不動産鑑定協会に抵当証券鑑定委員会が設置され、抵当証券評価書に関し、法務省等から求意見があった場合には、意見を申述することになった。
3 本件細則の趣旨
抵当証券法及び同施行細則の文言並びに前記の経緯から、本件細則の趣旨について検討する。
(一) 抵当証券法では、抵当証券の発行を登記官の権限としたうえで、抵当証券交付申請についての却下事由を規定した抵当証券法五条一項で不動産登記申請についての却下事由を規定した不動産登記法四九条と同旨の規定をしていること、不動産登記法では、登記官の実質審査が予定されている表示登記等については、調査権限が明記されているが、抵当証券交付申請についての審査では、右調査に関する規定が存しないこと、不動産登記申請における形式的審査は、不動産登記の迅速、円滑な処理を図るための政策的な考慮によるものと考えられるところ、抵当証券交付申請についても、同種の考慮が必要であると考えられることからすれば、抵当証券交付申請についての登記官の審査の権限及びその根拠についての規定上は、不動産登記申請の場合と異ならない形式的審査であると考えられる。
すなわち、登記官は、申請書及びその添付書類等の抵当証券交付申請制度上登記官が審査に際して閲覧することが予定された書面の範囲内で審査をなしうるにとどまり、その範囲を超えて申請書の記載内容としての事実ないし評価が果たして真実ないし相当であるかどうかについての実質的審査をするまでの権限を有するものではないと解される。
(二) この点、原告らは、抵当証券の発行においては不動産の担保価値が唯一の拠り所であり、証券としての流通性を保護するためには、登記官による担保価値の審査が不可欠であり、本件細則制定の経緯からも、登記官による担保価値の実質的審査が必要である旨主張する。
たしかに、抵当証券が抵当物件の担保価値を信用の基礎とすることは明らかであるとしても、その担保価値の審査については、前記の経過から見て、抵当証券法では、少なくとも昭和二九年に本件細則の制定以前においては、何らの規定がなされていない。したがって、抵当証券の信用すなわち抵当権の目的物が被担保債権を担保するに十分であるか否かの信頼の基礎は、抵当権者が抵当権設定に際して目的物の担保価値を適正に評価して権利設定するであろうことにかかっていたものと考えられる。
そこで、本件細則新設の趣旨が、右の性格を前提とした上で、それを補完しようとするものであるか、それとも、右の点を改めて国が担保価値を実質的に評価・審査して、抵当証券の信用の基礎としようとするものであるかが問題となる。
そこで、検討するに、たしかに本件細則新設の趣旨は、抵当権者が意図的にもしくは不注意により担保価値を上回る被担保債権についての抵当証券の発行を受け、それが流通に置かれることで、抵当証券の取得者が被害を受けるのを防止しようというものである。また、原告ら主張のように、抵当証券の発行は、転々流通する性質を有する有価証券の発行であって、通常の不動産登記申請事務とは異質な面があること、異議催告制度により制限的公信力が付与されていることも認められる。しかしながら、国が抵当物の担保価値について実質的に評価・審査するというのは、制度としての極めて大きな変更であって、抵当証券法自体に何ら改正を加えることなく、施行細則の添付書類の規定のみによってこれをなしたと考えることは困難である。さらに、審査担当者である登記官の調査権等、その審査の裏付けをなす何らの規定も置かれていないことと併せて勘案すれば、本件細則新設の趣旨は、抵当権者が抵当権設定に際して目的物の担保価値を適正に評価して権利設定することを証券の信用の基礎とすることを前提としつつ、不当評価による弊害を解消する手段として、その評価が適正になされることを企図するために、担保の十分性を証する書面の添付を定めたものと考えられる。
(三) したがって、本件細則に定める「抵当権が債権の全部の弁済を担保するに足ることを証する書面」は、「債権の全部の弁済を担保するに足ること」を、申請者が、相当な根拠に基づいて適正に判断したことを、登記官に知らしめるためのものと解することができるに過ぎず、また、これをもって足りるというべきものである。
(四) もっとも、右のように解しても、不動産鑑定書の内容は不動産登記申請における委任の有無のような書面上直接には知りえない事実の存否の問題に止まるものではなく、評価推論を含むものであるから、その審査にあたっては内容の相当性の判断も要請されていると解すべきであり、両者の間に審査対象の性質上の差異の存することを前提にすべきである。したがって、登記官の審査事項が右書面の形式的真否に限定されていると狭く解することは妥当でなく、あくまで目的物の担保価値を審査事項としていると解してよく、この意味で、本件細則はそのための審査資料の充足を明定し、従前の規定を補完したものであるといえる。
3 登記官の審査内容
(一) 本件細則の定める担保の十分性を証する書面としては、一般に不動産鑑定士の作成した不動産鑑定書が使用されており、本件でも同様であるので、以下、登記官の審査すべき内容について、不動産鑑定士の作成した不動産鑑定書につき考察する。
(二) ところで、右審査の過程は、当該不動産の正常価格(自由な取引により通常成立すると認められる価格)の審査と、その正常価格により申請された抵当証券の発行額の被担保債権が担保されるか否かの審査とに分けて考察することができる。
そして、概括的に言えば、後者の審査、すなわち、正常価格と被担保債権額の照合や正常価格から一定の割合を控除した範囲での抵当証券の発行を認めるいわゆる掛け目の判断等については、抵当証券発行業務に固有の問題であるから、形式的審査の範囲内においても、登記官による積極的な基準の設定が必要となるが、前者の正常価格の審査については、不動産の評価が多様な要素の複合による総合的な判断作用であり、書面のみによる判断になじまない面があるうえ、不動産鑑定士による評価に適する業務内容である反面、登記官に不動産鑑定士と同様の判断能力が予定されているとは言えないことからすれば、登記官の通常の業務に適するものとは必ずしもいえないので、不動産鑑定士の見解がある以上、原則的にはこれを正当なものと判断することが許され、例外的にこれを排除するという観点から審査がなされることが抵当証券法上も許容されていると解される。
したがて、登記官による正常価格の審査が形式的審査によってなされるべきであるということと、その審査に当たっては、どの程度の注意義務をもってなすべきかは自ずから別の問題であり、形式的審査の故をもって責任が常にないということはできない。
(三) ここに、右審査過程について、敷衍して考察する。不動産鑑定士の作成にかかる鑑定評価書は、良心にしたがって誠実に鑑定評価を行うべきことが法定された不動産鑑定士たる資格を持つ者が、不動産鑑定評価基準(昭和四四年九月二九日建設省住地審発第一五号「不動産鑑定評価基準の設定に関する答申」)に準拠して、業務に関する国土庁の監督を受けつつ、作成されるものであるから、原則として記載内容の実質的真実性が担保されているものと認めるべき社会通念ないし経験則があるものと考えられる。したがって、資格を有する不動産鑑定士が、通常の不動産鑑定の手法によって評価するものであれば、特段の事情のない限り、正常価格を判断する資料として社会的相当性を有するものと考えられる。
ただし、不動産鑑定士による鑑定評価についても、その手法については一般的に見解が分かれる場合もあり、また、事例の選択、減価・増価の事情の評価については各不動産鑑定士によって相違があることもあり得ることであるから、不動産鑑定士が通常の注意義務を尽くして行った鑑定評価であっても、ある程度の差異が生ずることは予想されるところである。
ところで、本件細則の趣旨は、登記官による価格評価の制度ではなく、申請者の価格評価が適正であることを確保しようと企図するための制度と考えるべきであるから、不動産鑑定士が通常の注意義務を尽くして行った鑑定評価であれば、言い換えれば、不動産鑑定士の鑑定業務上における手法・評価の相違と言いうる範囲の差異については、すべて本件細則の趣旨を満たすものであると考えざるを得ない。
逆に、不動産鑑定士が、職務上要求される通常の注意業務を尽くさないで、適正な正常価格を大幅に上回る評価をしたことを、登記官において知りうる場合には、その結果として、申請された抵当証券の価格が十分に担保されないのであるから、本件細則に定める添付書類が、添付されていないことを理由として申請を却下すべきである。
(四) 次に、登記官が、鑑定評価額についての書面上の審査において、いかなる場合に不動産鑑定士が注意業務を尽くしていないと判断し、それを根拠として却下することが可能であるかを考察すると、前記の日本不動産鑑定協会作成の「抵当証券交付申請書添付鑑定評価書に係る不動産鑑定評価上の留意点について」のような抵当証券交付申請に関するものが作成される以前においては、不動産鑑定士の一般的な注意業務を定めた前記不動産鑑定評価基準に準拠して、書面上、右基準に違反していると認められるか否かの判断をすれば足りるというべきである。
原告らは、「担保価値の評価の正当性が、専ら、不動産鑑定士の判断に委ねられるとすれば、単に評価額のみを記載した不動産鑑定士作成の鑑定済の証明書を添付すれば足り、鑑定内容が記載された鑑定評価書は必要でないはずである」旨主張するが、鑑定内容の記載の要求は、不動産鑑定士が適切な鑑定評価を行うことを自ら確認するという点と、前記のような例外的な書面を排除するという点で必要性があるところであるから、この点は左袒できない。
(五) なお、被告は、抵当証券法施行細則四四条八項において、抵当証券作成に当たっては、証券用紙の見やすいところに、「この債権は、政府が弁済の責任を負うものではない」旨の記載をすることが業務づけられている旨指摘するが、右文言は、国が抵当証券の発行者であっても、抵当証券上の義務者ではないことを指すに止まり、登記官の審査の権限ないしその内容とは、直接の関係はないというべきである。
4 被告の消費者行政上の注意義務に基づく登記官の実質的審査義務の有無
(一) 原告らは、被告の消費者行政上の注意義務に基づき、登記官には実質的審査義務が存すると主張し、次の事業を指摘する。
(1) 被告の機関である大蔵省及び法務省等の職員は、昭和五八年九月ころから豊田商事に対する税務立入調査等でいわゆる金のペーパー商法について熟知し、また、昭和五九年ころからは、抵当証券の発行枚数や数額も急に増大し、抵当証券が不特定多数の者に小口に分割して販売されるようになり、大量の購入者を出現させて消費者問題となりつつあったこと、抵当証券業については何ら直接的な規制法のない野放しの状況にあったこと、右状況下では、豊田商事と同様のペーパー商法が行われ又はそのおそれがあること等の事情により、抵当証券ブームによる国民の財産に対する危険が切迫している危険性を知りながら、金融の自由化・証券化・国際化の要請が高まる中で、モーゲージ証書取引による抵当証券取引を容認し、抵当証券業界の金融経済に果たす一定の役割を認めて擁護し、抵当証券取引のあり方について積極的に指導してきた。
(2) しかしながら、被告国は、本件被害発生当時消費者被害防止のための立法による法規制をなさず、かつ、その後になしたような消費者被害防止のための行政指導や消費者教育、広報活動等の予防措置により十分な行政上の措置をとることなく、右商法を野放しにしていた。
(3) かかる状況下では、消費者被害を防止するという国の責務を果たす唯一の歯止めが抵当証券発行段階における審査であるのに、消費者被害防止のための法務局及びその担当者に対する消費者被害についての指導・研修、抵当証券発行実務及び不動産鑑定評価についての指導・研修が全くなされるとなく、消費者被害防止のための抵当証券発行申請についての専門家の判断を求める制度の実施もしていなかった。
(二) 原告らは、国が、抵当証券による消費者被害が多発する前に、適当な防止策を採るべきであった旨主張し、右の論旨と同趣旨の文献が存在する(<証拠略>)。しかしながら、被告たる国が消費者被害を防止すべき一般的責務を有するとしても、一般消費者を対象とするあらゆる経済的取引活動は、何らかの形で消費者被害を生ずる可能性を含んでおり、他方、被害発生の可能性だけに着目して予防措置をとることは、取引活動を沈滞させ、それ自体が消費者に対して不利益を負わせる性質を持つものであって、具体的にどの程度の被害の可能性についていかなる段階・手法で規制することが相当かは、社会経済状況全般から総合的に判断されるべきことである。
したがって、被告に消費者被害を防止すべき一般的責務があり、また、登記官が鑑定評価について実質的に審査することにより、水増し鑑定という手法による詐欺被害を防止できる場合がありうるとしても、そのこと自体から、当然に右のような義務が生ずるものではない。
そして、法務局における抵当証券発行時の審査は、不服申立て、訴訟等、一定の紛争が顕在化している場合と異なり、抵当証券交付申請当事者間において、その取引のために取引通念上要請される相応の期間内で、ある程度効率的になされることが要求されるものであって、予想できるあらゆる危惧についてこれを払拭し、調査することを要求するのは適当ではない。また、不動産鑑定士が故意又は過失によって担保たる不動産を過大評価することに対して、登記官の審査によって、それを発見・対処しようとすることは、例外的には軽度の注意義務を尽くすことによって発見可能な場合があるとしても、一般的には、不動産鑑定士と同程度もしくはそれ以上の能力を持ち、かつ、提出書類に限定されない調査権限を持つものでない限り困難であって、制度全体からみて、防止手段として適当であるか否かも疑問がある。そして、本件以降の制度改正においても、抵当証券業の規制等に関する法律の骨子は、抵当証券業者の規制、保管方法の規制等であり、社団法人日本不動産鑑定協会の抵当証券鑑定委員会に対する求意見の制度は設けられたが、登記官への調査権限の付与もしくは公的鑑定等の鑑定評価についての実質的審査を可能ならしめるような制度は設けられていないところである。
(三) さらに、個々の公務員の職務上の注意義務の根拠となるべき法規や通達・指導等の具体的な職務上の規範の有無を論定することなく、政治的責任を含めた国の一般的な責任の存否から、直ちに特定の公務員の職務上の具体的な注意義務の存否を論ずるのは相当ではない。したがって、本件各抵当証券交付申請の審査当時において、抵当証券による消費者被害の可能性が論じられていたことから、直ちに、登記官の審査義務が加重されるものではないというべきである。
(四) ただし、仮に、水増し鑑定の危険が強く指摘され、それに対する対応として、登記官の審査により防止すべきである旨の主張が広く社会的に言われている場合には、具体的な職務上の規範を待たずに、条理上、職務上の注意義務が加重されるものと考える余地もあるので、さらに検討する。
<証拠略>によれば、本件各抵当証券発行当時、抵当証券に関する詐欺商法による被害が生ずる可能性を危惧する見方が強かったことは認められるが、そこで危惧された事態は、抵当証券とモーゲージ証券が連動しない、いわゆる空売り、二重売りの事態であった。そして、登記研究六一年四月号(<証拠略>)には、鑑定評価書の中身に見込評価等がないかを十分吟味する必要がある旨の記載があり、昭和六二年三月発行のジュリストの座談会(<証拠略>)には、法務省民事局第三課長の発言として、抵当証券の売行きがいいので、評価が甘くなっているのではないかという点が気になり、全国の登記所に評価の見方を注意するよう指示した旨の記載等はあるものの、そこで一般に問題とされていたのは、抵当証券の発行後の抵当証券会社の販売方法等であって、本件のような、不動産鑑定士の鑑定評価額の不当による損害ではない。
そして、本件の鑑定が昭和六一年一〇月末ころから水増し鑑定として問題になり、さらに、同年一二月に日本不動産鑑定協会に抵当証券発行の際の鑑定評価の仕方についての前記の通知がなされたものであるから、本件各申請の審査当時において、不当な鑑定評価の存在とそれに対する登記官の審査による防止が社会的に要請され、条理上、鑑定書の審査が強化されるべき社会状況であったとはいえない。
5 登記官による実質審査の有無
原告らは、本件申請当時においても、限定的には登記官による実質審査がなされており、また、本件以降ではあるが、前記の抵当証券鑑定委員会の意見申述の制度ができたことを登記官の実質的審査権限の根拠の一つとして主張するので検討する。
(一) まず、鑑定評価額から、一定割合を控除した範囲で、抵当証券を発行するいわゆる掛け目が行われていることについて検討するに、その掛け率については、先順位の担保権分の控除、最後の二年分の利息の額に限定する見解(<証拠略>)や建物が目的物の場合は、弁済期の減価が予想されるから、土地の場合と比べて低く七〇パーセント程度を目安とする等個別に判断する必要がある旨の見解(<証拠略>)等がある。登記官が右掛け目としてなす評価作業は、いずれの見解によっても、鑑定書における正常価格が相当であるか否かの審査ではなく、それが信用できることを前提として、さらに書面上明らかにされている権利関係等から、その正常価格をそのまま担保としての価値として評価してよいか否かを検討するものであって、鑑定評価についての実質的審査を予定したものではない。
(二) 次に、抵当証券鑑定委員会の意見申述制度についても、同委員会の意見申述は、その抵当証券鑑定委員会規程運営要領(<証拠略>)五条二項、三項及び各項の注意書の例示にあるように、当該鑑定書の鑑定評価の条件及び鑑定評価作業の手順が著しく妥当性を欠くものであるか否か、即ち鑑定手法の当否を審査するものであり、当然のことながら、適切な取引事例や公示価格を選択したり、適切な減価率を考慮したりして、担保価値自体を回答するものではなく、申請書の書面上から発見しうる過誤を指摘するものであるから、実質的審査とは言いがたい。
すなわち、右審査においては、抵当証券発行に関する不動産鑑定士による鑑定評価書の名前に値しない鑑定士の悪意又は過失による特殊な鑑定書を排除することをもって足るものである。鑑定士間の手法や考え方の差異に止まる範囲内の問題については、いずれも、本件細則の書面としての要件に欠けるものではないことを前提にしつつ、登記官において、不動産鑑定士による鑑定評価書の名前に値しない異常な鑑定書であるという危惧を持った場合に、なお、その点を確認するための制度と考えるべきである。
なお、登記官の具体的注意義務は、前記のように、職務上の注意義務の根拠となるべき法規や通達・指導等の具体的な職務上の規範により定まるものであり、右のような制度の存在を前提とすれば、同委員会に意見を求めるべき注意義務の生ずる場合があるとしても、右のような制度ができる以前においては、専門家の意見を聴取する義務はなく、通常、要求される登記官の能力において担保価値の十分性に欠けるものと確知しうる場合に排除すれば足りる。
(三) また、原告らは、「記載の外形・字句そのものから論理必然的に当該抵当権が債権全部の弁済を担保するものではないことが判明するときは申請を却下すべきであるという例外的取扱を認めること自体が、実質審査を前提としている」旨主張するが、形式要件を外観上は備えているが、内容の不備が通常の登記官の能力で明らかであるが故に、形式要件を備えていないと同視しうべき場合にこれを排除するのは形式的審査である。
(四) さらに、原告らは、「本件の審査実務においても、太田登記官は、野納鑑定士を呼出し、鑑定内容について事情聴取している」旨主張する。しかしながら、右の経緯は、太田登記官が、野納鑑定士の当初提出した鑑定書では、不動産登記簿上存在する建物についての評価がなされていないため、建物が建っていることを前提とする鑑定を求めたところ、野納鑑定士が鑑定書を差し替えたというものであるが、その趣旨は、鑑定内容の一部について参考程度に聞いたというものであり(<証拠略>)、釈明的な措置に付随する範囲のものであって職務上の義務の存在を前提とするものではないと考えられるので、一般に鑑定評価の当否に関する実質的審査がなされているとする根拠となるものではない。
6 登記官の審査義務についてのまとめ
以上の考察によれば、抵当証券交付申請の適否を審査するに当たり、登記官は、その申請書及び添付書類等による形式的審査をなすべきであることは明らかである。詳論すると、当該登記官は、その添付書類のうちに不動産鑑定士作成の不動産鑑定書が本件細則所定の書面として提出されたときは、その作成の形式的真否について審査するだけでなく、その内容についても、同細則所定の書面としての適格性を有するか否かの観点から、平均的登記官として具備すべき知識をも活用し、法規及び通達に準拠した審査をすべき義務がある。そして、その審査事項は、担保目的物の正常価格であるものの、審査の方法が限定されているため、必然的に、鑑定書の内容を検討する際においても、例えば、計算式等の正誤、一般的な鑑定手法の選択の有無等書面上形式的審査において看取しうる程度の審査方法によるほかなく、その限度において権限と義務を有していると解される。したがって、登記官は、原則として、右鑑定書の内容が正当なものであることを推定することができ、かつ、鑑定評価基準のうえで見解の分かれる事項についてまでの当否を問われるものではなく、形式的審査の範囲内で平均的な登記官の能力によって一義的に過誤評価と認められるものを看過した場合にのみ、その責任を問われ得るものと解するのが、その職分及び事柄の性質に照らして相当である。
三 本件各鑑定書の適格性(争点3)について
そこで、以上の基準ないし考察に照らして、本件各鑑定書が、登記官において、添付書類としての要件を欠くものとして、申請に対する却下の判断を下すべきものであったか否かを検討する。
1 形式面の適格性について
(一) 原告は、本件各鑑定書の形式面の問題点として次の点を指摘する。
(1) 本件各鑑定書の宛名は、本件各抵当証券の交付申請者である丸和ではなく、「不動産抵当証券株式会社、取締役会長鈴木俊彬」という第三者であるところ、鑑定の依頼者が誰であるかは鑑定結果の評価額に影響し、依頼者が、貸主の場合は信用性が高いが、借主の場合は高めになるのが通常である。したがって、依頼者に応じて審査の厳格さも異なるべきであるから、依頼者が貸主でないことが明らかであり、依頼者の不明確な鑑定評価書は信用性に欠けるものである。
(2) また、本件各鑑定書は、目的欄も「担保」とのみ記載されている。
ところで、鑑定の目的により、目的物の確定や現況主義か否か等が異なってくる。したがって、何の目的で作成したか明らかでない場合には、より慎重な吟味が必要であり、昭和六一年一二月一八日付社団法人日本不動産鑑定協会会長から会員に宛てた「抵当証券交付申請書添付鑑定評価書に係る不動産鑑定評価上の留意点について」と題する書面には、「依頼目的は「抵当証券交付申請書添付のため」とすること」と指示されている。
(3) したがって、本件のような依頼者も目的も不明確な鑑定評価書は信用性がなく、前記細則の要件を満たす書面ではないから、不適格であるか、少なくとも、登記官として、より慎重に吟味する義務を負うものであった。
(二) そこで、まず、鑑定依頼者について検討するに、一般に、不動産鑑定士が、土地の正常価格について鑑定依頼を受けて評価する場合、貸主以外の者の依頼による鑑定書であっても、土地の正常価格の評価として一般に通用しているものであって、常に依頼者の利益が考慮されて評価額が左右されているという経験則があるとは認められない。
また、本件細則において担保の十分性を証する書面の添付が規定され、その書面として不動産鑑定士による鑑定書が事実上制度化された背景には、抵当権の担保価値が被担保債権の担保として十分な価値を有するか否かの判断は、本来的には抵当権者に期待されるものではあるが、抵当権者すなわち貸主である抵当証券会社にとって、不動産の価格以上の抵当証券の発行を受けることが利益になりうるという事情から、貸主の利害関係だけでは十分な担保価値を有することが保証されるとは限らないと考えられたためである。そうすると、抵当証券交付申請については、貸主の利害なり意向なりを反映することで厳格な鑑定がなされるとは言い切れない面もあるのであって、むしろ、不動産鑑定士の公的な資格を信頼し、公正・客観的な判断がなされるであろうことを期待するのが右制度化の趣旨であると考えられる。
さらに、抵当証券交付申請の添付書類として、鑑定についての依頼者が担保権者であるものに限定し、あるいは、他の依頼者である場合に要件を加重するか否かは、政策的判断によるべき問題である。本件各申請に対する登記官の対応としては、注文上、もしくは、それを補完する通達等により、制度として鑑定依頼者に関連する右のような限定がされていない以上、登記官の個別的判断によって、添付書類として不適格であるとの判断をし、申請者に不利益を負わせることは適当ではないから、少なくとも、本件において、登記官に、依頼者が申請者ではない鑑定評価書を不適格と判断すべき注意義務があるとはいえない。
(三) 次に、鑑定目的については、前記の日本不動産鑑定協会会長からの会員に対する通知文書に記載されたように、抵当証券交付申請については固有の鑑定上の留意事項が存在する(<証拠略>)としても、添付書類として、抵当証券交付申請書添付のためになされたものに限定するか否かは、政策的判断によるべき問題である。制度として目的に関する右のような限定がないのに、前記の日本不動産鑑定協会の各不動産鑑定士に対する通知の出される以前の段階において、本件各申請に対する登記官の注意義務として、鑑定目的が抵当証券交付申請書添付のためであることを申請者に要求し、「担保」とのみ記載された鑑定評価書を不適格と判断すべきであるとはいえない。
なお、付言すると、野納鑑定士は、不動産抵当証券株式会社の取締役会長鈴木俊彬から、同社が、レブコの本件各土地の開発事業に融資するに際し、抵当証券の交付を受けるための鑑定評価を依頼されたものであり、実際の申請者が同鑑定士の予想に反して丸和であったものである(<証拠略>)。
したがって、本件各鑑定書について、仮に、太田登記官が右の点について野納鑑定士にさらに確認したとしても、その結果としては、抵当証券交付申請予定者から抵当証券交付申請目的で鑑定を依頼されたことが分かり、その点では問題がないことが分かるに過ぎないと考えられるから、原告ら主張の注意義務違反と本件各抵当証券の交付とは因果関係もないと言わざるを得ない。
2 本件鑑定書の記載自体の問題について
(一) 原告は、本件各鑑定書の内容に関する問題点として、次の点を指摘する。
(1) 本件各鑑定書は、現況主義を採らず、不確定事実を鑑定資料としている。すなわち、「児島湾大橋の完成で一層の開発が期待されるとともに、将来的には観光レジャー開発や業務住宅用地など同半島の宅地開発に拍車がかかっていく」ことを根拠としている。それに基づき、本件各土地の最有効使用を「観光・レジャー関連や店舗・業務用の店舗地」(1、2、5の土地)「湖面を活用した観光・レジャー関連の敷地」(3、4、6の土地)としているが、本件各鑑定書には、例えば「県第何号開発行為の許可済」という文書等開発行為の内容と完成時期が明記されたもの等の使用形態の成否についての添付資料がなく、その確実性を担保するものがない。
なお、本件各土地は、埋立地で地盤が弱いため、地盤沈下が激しく、観光レジャー開発施設の建設に適していないものである。
また、本件1、2の土地の鑑定書では、2の土地につき、公衆用道路であるが、これを供用廃止して北側に付替え、1の土地と一体として利用できる旨の記載があるが、右道路に接する三〇〇七番、三〇〇八番の土地の所有者の承諾書等は添付されておらず、右廃止手続は容易にできるとは認められないのに、廃止できる前提で評価することは現況評価の原則に反する。
(2) 最有効利用を観光レジャー関連施設としながら、取引事例、収益事例を商業地等に求めることは矛盾しており、同じ瀬戸内のレジャー施設に求めるべきである。
すなわち、本件鑑定書の取引事例・公示地とされた土地は、いずれも小規模な画地の住宅地や店舗が建てこんだ住宅地や路線商業地であり、全く類似しない土地である。そして、仮に適当な取引事例がないために、小規模な画地の住宅地と比準せざるをえない場合は、まず、小規模の標準画地を想定してその更地価格を求め、次に、当該対象標準画地について小規模住宅地に転換するために必要な造成工事費及び道路等の付帯費用及び有効宅地化率を考慮して当該対象標準画地の試算価格を求めなければならないのに、本件鑑定書では、本件各土地のような大規模画地とそのまま比準する過ちを犯している。
有効宅地化率や諸経費の検証には専門的な知識が必要であるとしても、右のような比準方法は一般常識に照らしても合理性を欠き、素人の目にも誤りは明らかである。
(3) 本件各鑑定書は、各土地ごとに別個に作成されているのに、前記のような最有効利用を設定し、3、4、6の各土地についての鑑定書には、1、2の土地と一体利用することもできる旨明記する等、本件各土地六筆及びこれに囲まれる岡山市郡三〇〇七番、同三〇〇八番の一団の土地の一体的利用を前提として、鑑定とは関係のない土地と合わせて鑑定しており、本件鑑定書は、いずれも、鑑定対象不動産以外の不動産を含めた鑑定である。
対象不動産以外の本件一団の土地の一体的利用を前提とし、特に、レブコの所有ではない右三〇〇七番、三〇〇八番を含めた鑑定を行うことは、対象不動産の正常価格を求める場合の基本的手法を誤ったものである。
(4) また、本件各鑑定書は、取引事例・公示地の選択について、相互に代替・競争関係にない土地をそのまま比較する誤りを犯しているため、要因比較ができない事例であるのに、環境・公法上の規制・接近性を理由にプラス四五、プラス八〇、地域要因を理由にマイナス四五等、明確な理由なく大幅な修正をしており、このような大幅な修正を行うこと自体の不自然性、取引事例選択の不合理性に疑問をもつべきである。
(5) 本件各鑑定書では、設定した標準画地と全く価格形成要因が異なるものを最有効利用としている。即ち、標準画地を二〇〇〇平方メートルの略長方形としているが、この広さではレジャー関連施設としては不十分であり、少なくとも一万平方メートル程度の広さが必要である。
(6) 当時の一般的時価と乖離しており、評価額が一見して不当である。
すなわち、平均的登記官としては、およそ公示価格や時価は当然知っておくべき事項であるところ、岡山県信用保証協会の評価では昭和六一年五月当時の本件土地の時価は坪当たり五万円前後である。
近傍の公示価格である岡山55の一平方メートル単価三万三〇〇〇円、本件各土地の固定資産評価額一平方メートル単価約四〇三〇円から見て、本件鑑定書の評価額一平方メートル単価約六万八〇〇〇円が異常に高いことは明らかであり、太田登記官もそのように認識したにもかかわらず、本件鑑定書に右評価額が正当であることの根拠となる説明がない。
(7) 本件の審査上の過失は、ほぼ同内容の本件各鑑定書の審査に際し、五度にわたり繰り返し行われたもので、その違法性は顕著である。
(二) まず、右指摘のうち、(1)の現況主義に反するとの点、(2)の取引事例・収益事例の選択等に関する点、(3)の複数の不動産の一体的評価の点、(4)の補正率の点、(5)の標準画地と性質の異なる最有効利用の設定の点は、野納鑑定士が、昭和六一年一二月一七日、本件各鑑定書にかかる鑑定評価に関して、国土庁から一〇か月の鑑定評価禁止処分を受けた際の処分理由となったものであるが、その処分理由の内容は概略次のとおりである。(<証拠略>)
(1) 第一に、本件において、路線商業地あるいは沿道サービス施設用地としての価格が形成されていると判断したとみられる取引事例、収益事例等から単純に標準画地の価格を算定し、それに若干の補正を加えて本件各土地の鑑定評価額を求めたことは誤りであると指摘し、その理由として、本件各土地が面している県道沿道の観光・レジャー関連や店舗・業務用の商業地としての発展状況、周辺の土地利用状況、観光資源としての児島湖の価値、本件各土地の総面積等からみて、本件各土地の全体を商業地として効率的に利用できるとは認めがたいこと、「観光・レジャー関連や店舗・業務用の店舗地」、「湖面を活用した観光・レジャー関連の敷地」のような成否の不確かな使用方法については成否の帰趨が明らかになるまで価格形成力を有するに至らないのが一般的であること、及び「湖面を活用した観光・レジャー関連の敷地」を最有効使用とする土地については、標準画地と全く価格形成要因が異なることの三点を挙げる。
(2) 第二に、標準画地の価格の算出に当たり、採用された取引事例は、本件各鑑定書に共通であるが、その事例1について建物価格を含めた価格を土地価格であると誤認していること及び標準画地との地域格差の把握が困難な取引事例及び地価公示標準地を採用し、結果的に地域格差による補正が適切さを欠いていることを指摘している。
(3) 第三に、対象不動産ごとに作成された鑑定書において一団の土地の一体的利用を前提として評価していることは鑑定の手法を誤ったものであると指摘している。
(三) そこで、右の諸点については、野納鑑定士が、不動産鑑定士としての通常の注意義務に違反したものと認められるが、右の不動産鑑定士としての通常の注意義務に違反した点について、前記の形式的審査を行うに過ぎない登記官の注意義務の基準に照らして発見すべきものであったか否か検討する。
(1) まず、現況主義に反するとの点については、本件各鑑定書は、いずれも表示の上では無条件の正常価格であり、現況主義を採った体裁となっている。
そして、記載内容となっている将来の開発見込みについては、少なくとも前記「抵当証券交付申請書添付鑑定評価書に係る不動産鑑定評価上の留意点について」が作成される以前においては、その見込みが現在の時価に現実に反映しているとの評価もあり得るところであり、これを否定するためには、前記処分理由記載のような「「観光・レジャー関連や店舗・業務用の店舗地」、「湖面を活用した観光・レジャー関連の敷地」のような成否の不確かな使用方法については成否の帰趨が明らかになるまで価格形成力を有するに至らないのが一般的であること」等を認識する必要があるが、これは、登記官が書面上知りうる内容であるとは言いがたいから、右の点は形式的審査により却下すべきものとは言えない。
(2) 次に、取引事例・収益事例の選択の適否並びにそれに伴う比準手法及び標準画地との補正率の当否の点についても、取引事例・収益事例として採用することの適否及び事例と当該土地の標準画地との差異の程度の判断は、書面上の審査においては極めて困難であり、また、比準手法及び補正率については、一般に各不動産鑑定士により相当の相違のあるものであって、不動産鑑定評価基準等から当然に導かれるものとはいえないから、前記基準に照らし、登記官の形式的審査により却下すべきものとは言えない。
(3) 複数地番の一体的評価の点については、各土地が個別に譲渡される可能性を前提とすべき抵当証券の担保の評価においては大いに問題のあるところではあるが、前記の「抵当証券交付申請書添付鑑定評価書に係る不動産鑑定評価上の留意点について」が作成される以前において、当該土地の無条件の正常価格の評価において、周辺との一体的利用の可能性を評価に入れること自体が否定されるべきであるとの見解が広く不動産鑑定士等に徹底されていたとまでは認められず、登記官の形式的審査により却下すべきものとはいえないというべきである。
(四) 次に、原告指摘の(6)の時価との乖離の点については、登記官において、制度上、およその時価を知っていることが期待できるとはいえないし、また、固定資産評価証明の評価額は一般に当該物件の市場価格と著しくかけ離れており、固定資産評価証明の評価額を何倍すれば市場価格が算出できるかは一義的に決められるものではない。公示価格との関係についても、対象土地とこれに類似する利用価値を有すると認められる標準地との位置、地積、環境等の土地の客観的価値に作用する諸要因について比較を行って判断する必要のあるものであるから、一見して極端に異常な評価をする場合は格別、本件の鑑定評価においては、なお、不動産鑑定士による評価の幅の範囲内と見る余地のある価格であるから、書面上明らかに誤りであるということはできず、登記官の形式的審査により却下すべきものとは言えない。
3 太田登記官の注意義務違反の有無
前記のとおり、原告指摘の諸点については、登記官の形式的審査により却下すべき内容であるとはいえない。さらに、太田登記官が、不動産鑑定基準に定める記載事項がなされているか否か等について、法務総合研究所の法務研究報告書第七〇集第二号「抵当証券の作成・交付及びその登記手続等に関する実証的研究」(<証拠略>)の七四頁の担保の十分性を証する書面の調査ポイントを見ながら調査した(<証拠略>)ことについても、本件各鑑定書の評価額が不動産鑑定士としての注意義務に違反して作成されたことに気付くべき事情があったとは認められない。したがって、本件細則に定める書面が添付されているか否かに関する正常価格の審査につき太田登記官に注意義務違反があったとは認められない。
4 石岡首席登記官の注意義務違反の有無
(一) 原告らは、「石岡首席登記官の注意義務違反として、太田登記官が審査した書類の一件記録を受け取って決裁する役割を負っていたにもかかわらず、最終的な鑑定評価額を見る程度で、鑑定評価書の内容を読まず、太田登記官の審査に任せていたこと、太田登記官が固定資産評価額と比較して高すぎるのではないかとの疑問を抱き、石岡首席登記官に相談したにもかかわらず、十分慎重に検討協議する義務を尽くさず、鑑定書の内容を読むこともなく、不動産鑑定士は、難しい国家試験をパスして与えられる公的資格であり、不動産鑑定に関する専門家で権威者であるから、鑑定書は信用できるとして、それ以上の審査をする必要はないという方向で指示を与えたことを指摘し、最終的な審査権限者としての責任を放棄したものであり、審査の名に値しない」旨主張する。
(二) しかし、前記のとおり、本件各鑑定書は、本件各抵当証券発行時点における注意義務として、形式的審査により却下されるべきものとは言えないから、石岡首席登記官についても、注意義務違反があったとは認められない。
四 結論
したがって、本件各申請に係る本件各鑑定評価書の正常価格の審査につき、太田登記官及び石岡首席登記官に過失があったことを前提とする本件請求は、いずれも理由がない。
(裁判官 伊東正彦 倉田慎也 齋木稔久)
別紙一 当事者目録<略>
別紙二 請求債権目録<略>
別紙三 物件目録<略>